なぜ「王将」という同じ名前を冠した中華チェーンが2つ存在するのか。その答えは1960年代の創業期に遡ります。まず産声を上げたのは、1967年(昭和42年)に京都市四条大宮で創業した餃子の王将(運営:株式会社王将フードサービス)です。関西圏では親しみを込めて「京都王将」とも呼ばれています。
そのわずか2年後の1969年(昭和44年)、餃子の王将の創業者・加藤朝雄氏の親族であった文野新造氏が、のれん分けの形で大阪・京橋に1号店をオープンさせたのが大阪王将(運営:イートアンドホールディングス)の始まりでした。当初は友好的な関係からスタートした両社でしたが、大阪王将が急速に店舗網を拡大し、本家のお膝元である京都エリアにも進出し始めたことで対立が表面化します。
1970年代から80年代にかけて、屋号や商標の使用を巡る激しい商標裁判へと発展しました。最終的に1985年(昭和60年)に大阪地方裁判所で和解が成立し、「本家は『餃子の王将』、分家は『大阪王将』として明確に区別する」という合意に至りました。また、2026年4月に「弁護士JP」が報じた特許庁の商標審査に関する専門解説によると、本来は消費者の混同を防ぐため類似商標の登録は退けられますが、両社が長年の営業実績を積み重ね、互いに識別可能なブランドとして独自の地位を築いた「特例的な併存」として法的にも決着しています。